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このホームページは、ならまち振興事業部門の公式ホームページです

TEL. 0742-27-1820

〒630-8335 奈良市鳴川町37-4

ならまちについてAbout Naramachi

『ならまち』とは

行政地名としての奈良町という場所はありませんが、奈良市街地の東部をしめる「奈良町」は都が奈良にあった時代の道筋をもとにしながら発達した長い歴史を持つ町です。奈良時代の平城京の区画のうち東部につきでた外京にあたるところで、平城京遷都以来まちづくりがはじまり、宗教都市から商業都市へ、商業都市から観光都市へと様々な時代背景の中で盛衰をくり返してきたまちでもあります。
江戸時代の末期から明治時代にかけての町家の面影を今に伝えるならまちは、訪れる人々にやすらぎとうるおいを与え、時には懐かしささえ感じさせてくれる古い街並です。




ならまちの町家の特徴



歴史

元興寺塔跡

都が平城京から長岡京に移ったのちは、平城京は荒廃しましたが、大きな社寺は奈良の地に残りました。そして寺の周辺には仕事に携わる人達が住みつき、郷(ゴウと呼ばれる町)ができ鎌倉時代には、寺の保護のもと市がひらかれるようになり、商業が発達しました。
また、寺や神社と結びついた手工業も発達し、町民の政治経済力が大きくなり、寺や神社の支配力が弱くなるにしたがって、町民が自分自身で町を治めるようになりました。安土桃山時代には、「ならまち」の商人のなかに、茶・能楽・連歌をたしなむものができてきて、暮らしにゆとりができたことがわかります。

江戸時代にはいって「ならまち」はめざましい発展を遂げます。主な産業には、晒(さらし)や酒造・墨・甲冑(かっちゅう)・一刀彫などがありました。産業の町としての発展は、江戸時代中頃でとまってしまいましたが、そのかわり寺や神社に参詣する人々が増え、門前町としての性格が明確になってきました。
いまここで、「ならまち」と呼んでいるのは、中世に成立した門前町を中心として、社家が並ぶ社家町・大正時代から昭和初期にかけての町家など多彩な個性が集まったものを指しています。その中でも門前町としての性格は明治から今日にいたるまでの時代の流れのなかで、「観光の町」と呼び方をかえられながらも受け継がれ、戦火をまぬがれた歴史都市として多くの人々が訪れています。



指定区域って? ←Click
・平成2年:奈良市都市景観条例制定
・平成6年:『ならまち』都市景観形成地区指定
この地区内での建築行為については、「届出」を出していただくことにより、奈良市から景観形成基準に基づいた助言・指導、また、景観形成を進める上で必要な建造物の建築行為には助成がおこなわれます。


バナースペース

















ならまち八景
 紹介



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FAX 0742-27-8656